“お化け屋敷”。お化けなんていないと分かっていても、「怖いのなんか嫌い」なんて言いながらも今だ根強い人気を誇る、日本古来のアトラクション。
そこにはすべてのイベントに通じる演出の仕組みと工夫がありました。
大人も悲鳴をあげる“日本の夏の風物詩“の名プロデューサーに聞く、「恐怖が楽しくなってくる」演出の極意とは————
子どもだましから気鋭のクリエイターの創作物へ
五味さんが初めてお化け屋敷のプロデュースを手がけたのは1992年。後楽園遊園地での『麿赤兒のパノラマ怪奇館』です。
「当時はどちらかというと子どもだましで、大人が真剣に入るようなものではなかったんですよ。今はキャストがいるお化け屋敷も一般的ですけれど、当時は東京では後楽園、大阪でも2館くらいしかなくて。」
そこで五味さんは舞踏集団、大駱駝艦主宰の麿赤兒さんに目を付けます。
「髪の毛も眉毛も剃った白塗りのダンサー達が暗闇からわっと出てきたら怖いだろうなと思って。そういうシンプルなところで麿さんにお話したら『面白いね』って言ってくれて。」
「イラストは丸尾末広さんで、音楽はフリージャズのジョン・ゾーン。当時は子どもだましという認識が強かったから、いろんなクリエイターが参加してる感じを出したかった。」
気鋭のクリエイターが集結した『麿赤兒のパノラマ怪奇館』は大成功。
さらに五味さんは「ならば『恐怖の最高峰』へ声がけを」と『楳図かずおのパノラマ怪奇館』を企画、またしてもヒットを飛ばします。
ストーリーの中を進んでいくという体験
楳図かずおさんとタッグを組んだ五味さんは、続く『楳図かずおのお化け屋敷 安土家の祟り』で、これまでにはなかった試みを持ち込みます。
「『ストーリー』というものをお化け屋敷の中に持ち込んだんです。」
「それまでのお化け屋敷は、例えばお岩さんの隣にろくろ首がいて、その隣にはドラキュラがいて狼男がいて・・と脈絡がなかった。」
「一つのストーリーを設けて、ストーリーにそって歩いてもらって、そのシーンを体験してもらうように楳図さんと作っていったんですね。」
今では当たり前の設定も、このときのアイデアがあってこそなんですね。
“ミッション達成型”登場人物としてのお化け屋敷
その後、演劇出身の五味さんならではの視点が新たな恐怖を生み出します。
「『赤ん坊地獄』ってお化け屋敷を始めたんです。これは赤ちゃんを『出口にいるお母様に渡して下さい』と入り口で渡されるんです。」
「これでストーリーの中でお客様も重要な役割を果たす。『これを最後まで運んでいかなければいけない』という非常に重要な“ミッション“を担うことになるんです。」
「つまり『展示型』から劇場型、もっと言うと『演劇的な空間』へと変わっていったんです。」
想像力をどうやって暴走させるか
次々と新たな試みを取り入れた五味さん。その成功の裏には“お化け屋敷”という特性と、人間のメカニズムを最大限に生かす仕掛けがありました。
「お化け屋敷っていうのは他のエンターテイメントとはちょっと違う部分があって、『フィクションを体験する』という側面があるんです。」
確かに、お化け屋敷に実際はお化けも殺人鬼もいないことは皆知っています。
「つまり想像力がお化け屋敷を成立させているわけです。言ってしまえば想像力だけの産物なんです。」
「だから『どうやったらお客様の想像力をかき立てられるか』、想像力を一種の暴走するものとしてお客様が体験するか、ということを考えなければならないんです。」
身体と想像力、リアルとフィクションの混在
私たちは小説や映画など、なるべくその世界に入り込んで楽しもうとします。
「でもお化け屋敷というのはお金払って入っておきながら、なるべく関わらないでおこうとする。どうしたら自分が怖がらずに済むかなって思う訳です(笑)。」
でも怖がってしまうのは人間の本能だからだといいます。
「映画だとスクリーンからお化けは出てこない、でも当然お化け屋敷では目の前に迫ってくる訳ですね。本能的な怖さを持っている訳です。」
「つまり“フィクションを楽しむ”というのは、想像力の産物でとても理性的なこと。でも体験するのは身体的なことなんです。それらを混在させることがフィクションを楽しむということの側面です。」
フィクションではなく、フィクションからリアルに戻る瞬間を楽しむ
それだけ怖い想いをしながらも、お化け屋敷が楽しく感じてしまうのはどうしてなのでしょうか。
「どんどんフィクションの世界に入っていって、どこかのタイミングでリアルの方にポンと帰ってくる、その往復運動をお化け屋敷の中でお客様はずっとやってるんです。」
「リアルとフィクションの間を行き来する、なるべく大きく、なるべく早く戻す、これがお化け屋敷の中で『楽しい』と感じる瞬間なんです。」
「お化けが襲ってきて目の前まで来てるのに、悲鳴を上げた途端、目の前からカーテンの裏へ帰っていったりする。『ここまでですよ』っていう幕引きをきちんと見せてあげる。ここまで含めた演出なんです。」
「緩やかに緊張を解いていくと面白くない。ストンと緊張状態を解いてあげると一気に楽しくなるんですね。」
さっきまでめちゃくちゃ怖かったはずなのに、力が抜けた瞬間に思わず笑ってしまう。こんな体験みんなあるはず。
「その振れ幅をどれだけ大きく持てるか、を考えることが面白いお化け屋敷を作ることだと思いながら、お化け屋敷を作っています。」
イベントを創っていく中で、参加者の感情の移り変わりをストーリーに見立てて企画するという面白さ。基本だと分かっていても、そこには緻密な計算と、演出にかける愛情のようなものが必要だと教えられたひとときでした。
(文:濱谷 俊輔)
五味 弘文 (Hirofumi Gomi) プロフィール
お化け屋敷プロデューサ
株式会社オフィスバーン 代表取締役
1957年、長野県生まれ。1992年、後楽園ゆうえんち(現 東京ドームシティ アトラクションズ)において、初のお化け屋敷『麿赤児のパノラマ怪奇館』を手がけ、キャストの現れるお化け屋敷を復活させて大きな反響を呼ぶ。以降、大人が楽しめるエンターテインメントを目指して活動を始める。その後、それまでのお化け屋敷にはなかった“ストーリー”の概念を持ち込む。1996年、赤ん坊を抱いて歩くお化け屋敷『パノラマ怪奇館〜赤ん坊地獄』を開催。ストーリーにお客様を参加させて、登場人物のように役割を担わせる方法を生み出す。「キャスト」「ストーリー」「役割」という三つの大きな特徴を確立する。その後も、手錠に繋がれて歩く『LOVE CHAIN〜恐怖の鎖地獄』、本物の廃屋を移築して作り上げた『東京近郊A市〜呪われた家』、幽霊の髪の毛を梳かして来なくてはならない『恐怖の黒髪屋敷』、靴を脱いで体験する『足刈りの家』、死体と指切りをしてくる『ゆびきりの家』など、様々なお化け屋敷を作り続けている。お化け屋敷24時間ライブカメラ「ゴーストカム」、お化け屋敷の主人公によるブログ、館内のお客様を外から脅かすことのできる「リモートゴースト」など、お化け屋敷の枠を越えた仕掛けも行っている。 2013年には、初の小説『憑き歯〜密七号の家』(幻冬舎文庫)を出版。お化け屋敷『呪い歯』とテレビドラマ『悪霊病棟』を連動した「黒い歯プロジェクト」を行う。そのほかの著書に、『人はなぜ恐怖するのか?』(メディアファクトリー)、『お化け屋敷になぜ人は並ぶのか~「恐怖」で集客するビジネスの企画発想』(角川oneテーマ21)がある。
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