わかりあえないことを楽しむ。誤読の自由を味わう「ことばのこてん」とその世界

2018年5月22日、Peatix Japan内EBISU PARKにて、「イベントサロン vol.14」を開催しました。

今回のテーマは「世界観のつくりかた」。圧倒的な世界観で多くの人を惹きつけるイベントの作り手に、その発想や表現についてお話を聞きました。

わかりあえないことを楽しむ。誤読の自由を味わう「ことばのこてん」とその世界

ことばのこてん 高橋 健さん

ことばのこてんは若いプロジェクトです。去年の2017年10月1日に僕が思い付きで、ノリでつくりました。それがだんだん大きくなってきて、今度10回目を迎えます。なので、まずちょっとここで、ことばのこてんをここで体験してもらおうと思います。

 

ことばのこてんとは

今から後ろのスライドに、ある言葉が現れます。この言葉を見た印象とか、頭に描かれた景色とか、思い浮かんだストーリーや印象を教えてください。

ではそこの青いデニムを着てらっしゃる方。何かキーワードでも、ストーリーでも、物語でもなんでもいいんですけど思いついたことをパッと教えていただければ。

 

参加者:「肌」が思いつきましたね。

 

高橋:肌、あ~。なんかあれですか、グッと近づいてルーペみたいので見たらめっちゃガサガサしてるみたいな、CMとかでありそうな感じかな。なるほど、はじめての意見ありがとうございます。

 

僕はこの言葉を見たときに、スーパーの鶏肉を思い浮かべました。スーパーの鶏肉って白いトレーに乗ったピンクのヤツですよね。でもあれって、最初からああやって生きていたわけではなく、鶏を絞め殺して、羽を剥いで解体してというプロセスを経て、僕たちの手に届くときには血がついてたら気持ち悪いぐらいの綺麗な状態になっている。それを思い起こしました。

 

これがことばのこてんです。ことばのこてんは個展やギャラリーではなく、アトラクションだです。言葉を誤読し、その印象をシェアするアトラクション。

 

実際に参加すると、参加者はまずグループに分けられ、一人ひとりに冊子と鉛筆が渡されます。各グループに、「誤読の案内人」というファシリテーターがいて、その人の指示に従って冊子のページを1ページずつめくっていくんです。

最初が短編の小説になっていて、その次から先ほどのような言葉が入ってます。真っ白なページにメッセージ性のないフォントで、歌詞の一説から小説の1行、何気ない友人の一言から思いつきの創作まで、そういったことばがセットになっている。 そしてそのことばの印象を5~6人の卓で言い合って、誤読を楽しむというイベントになっています。

 

ことばのこてんが大切にしている哲学と、実現したいもの

ことばのこてんがとても大事にしている哲学が一つあります。「誤読、誤読の自由」というものです。もうこれしかないです。僕たちの世界観は全て、これを基準にできています。「じゃあ誤読ってなんなの?」というと、文字通り誤って読むということです。

 

言葉はその人の経験とか価値観によって、姿を変えます。同じ言葉を見ているようで、全く違うものを見ている。それが如実に表れて、それがとても面白い。

ことばのこてんを通して伝えたいメッセージ

そしてその「誤読の自由」を通して僕には表現したいものがあります。ちょっと大きな話になりますが、世界はグローバル化しているそうです。僕はグローバル化につれて世界がどんどん細かく小さくなっていっているような気がします。世界が多様化しているからです。

 

いま僕は21歳ですが、僕の親の時代にはホモと、ゲイと、レズビアンの方しかいなかった。けど今は違う。LGBTがあってQと、QueerというかQuestioningと言われる人たちもでてきて、どんどん多様な価値観がでてくるようになりました。

 

そういったことだけでなくて、僕たちが感知しない遠い世界まで、新しい価値観がどんどんでてきて、世界がどんどん細かくなっていると思います。世界が細かくなり、いろんな価値観がでてくると、やっぱり衝突する。新しい価値観、自分と相容れない価値観が生まれると、そこで衝突や軋轢ができて思想的な対立や物理的な戦争が生まれます。

 

そういうミクロの人間関係から大きなマクロの戦争まで、根本は1つの小さなすれちがいにあるんじゃないかと思ったんです。多様性というものの定義が少しブレているんじゃないか。「みんな分かり合えるよ」ではなく、「僕たちは絶対に分かり合えないけど、それでも認め合おう」という姿勢が大事なんじゃないかと思い、それを誤読の自由として発信しています。

 

アマゾンの奥地に住むピダハン族の本を読んだことがあるんですが、もう僕には絶対に理解できない風習があるんです。やっぱり理解できない、絶対に分かり合えない。そういうのがたくさんある。例えば目の前の友人でもその友達でも、友人の彼氏でも彼女でもいいですけど、絶対に理解できないことってありますよね。

 

僕たちは分かり合えないのに、それを分かったふうにしてしまうことでズレが生まれる。理解できないものを理解しようとすることによってズレが生まれ、それが人間関係のも連れや、大きな戦争の起点になっていると考えました。

 

理解が前提のコミュニケーションから、「違うけど分かり合える」感覚へ

だから僕たちはそれを壊します。壊してつくりたい。理解が前提のコミュニケーションから、誤読が前提のコミュニケーションにしたい。僕は村上春樹が好きなんですけど、『スプートニクの恋人』に僕の大好きな一説があるんです。「理解というものはつねに誤解の総体に過ぎない」僕はこれを読んだときに「これだ」と思いました。あらゆる理解は誤読にすぎない、僕はそう思います。それを分かった気になるんじゃなくて、分からないけど認め合おうよっていう地点に戻ることがとっても大事だと思います。

 

ことばのこてんを通すと、同じ言葉を見ているのに、隣の人が全く違う景色を見ていることを体感します。「あ、理解なんてないんだ、同じものを見てるのに」と体感することで今までのコミュニケーションの根本を壊す、そして「違うけど分かり合える」という新しい経験を得ることができる。そのスクラップアンドビルドを何度も何度も体験してもらう、それがことばのこてんです。

 

そしてそれはブログやプレゼンテーション、本を出すとかそういったかたちじゃなくて、僕はエンタメで表現したい。エンタメというアトラクションで、間口の広いかたちでいろんな人に体験してもらって、結果的にそういうものを持って帰ってもらいたいなと思っています。それがことばのこてんがつくりたい景色であり、僕たちの目的です。

 

僕たちはイベントに来てくれた半径80センチぐらいの人たちに新しいコミュニケーションの定義をお伝えすることで、結果的に世界をちょっぴり良くできたらいいなと思っています。

 

以上が「ことばのこてんってなに?」っていうお話と、僕たちが大事にしている哲学と、そして僕たちが目指したい世界のお話でした。僕はこうつくりました。誤読してください。

 


<Q&A>

ことばのこてんが人気イベントであるわけ

宮田:この「誤読の自由」という言葉が本当に面白いですね。誤読と言いながら誤読じゃないわけじゃないですか。どんな表現、どんな解釈も間違いじゃなくて、違いとして認識し合おうと。だからこの言葉自体も誤読されていいというところが面白い世界観だと思います。

 

こういうイベントって、お話を聞くとその深い意図が分かりますが、告知ページをパッと見ただけでは、皆さんそこまで深く認識しないで参加していると思います。ことばのこてんは盛況ですぐに席が埋まる人気イベントですが、参加者はここに何を求めて来ていると思いますか?

 

高橋:まずは言葉が好きな人って意外といるんだなと思いました。「趣味なに?」と言われて「言葉」って言う人はいないけど、みんな失恋したら失恋ソングを聞くし、本の好きな一節には線を引いたりする。言葉を好きな人たちがいて、そういった人たちをはじめてターゲティングできたからいろんな方がいらっしゃるのかなと思います。

 

今まで言葉自体を楽しめるものはなかったところに、ことばのこてんというそれっぽいものがあったので、行ってみようというのが1つの大きな要因かなと思います。

 

世界観をつくるための工夫

宮田:世界観をつくる中で、何か意識されていることはありますか?

 

高橋:ひとつ僕たちがとても気をつけているのは、本名で参加してもらわないということです。ことばのこてんに参加すると、当日の開始1時間前に画像が送られてくるんです。「本日はご来店の予定ありがとうございます。ことばのこてんでは誤読の授業を担保するため、本名での自己紹介はご遠慮いただいております。なのであなたはルパン四世です」と。参加者に申し込み時に書いてもらった架空の名前を、当日の偽名としてランダムにお渡しします。

 

そして、当日は最初に僕が会うんですが、そこから「あ、どうもはじめまして、ミカンジュースです」みたいなやりとりを徹底していきます。以前にお話したことがあっても、偽名を徹底し、当日は初対面の人のように振る舞います。そうすることで高校生から社会人の方までフラットな空気をつくることができる。そういう点においては空気を上手くコントロールし、空気をつくる工夫の一つです。

 

自分ではないもの」になること

宮田:偽名で参加すると、「自分じゃないもの」になれるのも面白いですよね。上下関係を排してフラットにするだけではなく、普段の自分ではない自分でその世界に行くというのは、またひとつ世界観の体現なのかなと思います。

 

高橋:それは本当に思います。第1回を自分でやって経験したことですが、普段友人に言わないことを言っちゃうんですよ、偽名なんで。なんとなくそういう流れになっちゃって、そのときに面白いなと思いました。これは意図せず起こったことですが、そういうことはあると思います。「この人にはじめて会ったのに、なんで俺はこんなことを話しているんだろう」と。不思議な感じですね。

 

宮田:その「自分」という言葉、存在自体もあいまいにして体験できるアトラクションということですよね。定期的に開催されているので、皆さんもぜひ参加してみてください。


 

ことばのこてんの今後の予定はこちらから!

▶︎ ことばのこてん

この記事が気に入ったら
いいね ! しよう

Twitter で